二荒山神社を巡る2つの総本社

青春18きっぷの旅日光編番外。

18切符は乗り降り自由なので、日光の帰りに宇都宮にも立ち寄ってきました。

餃子が食べたかった、というのも大きな理由の一つですがもう一つ行きたかった場所「宇都宮二荒山神社」

日光の世界遺産「二社一寺」のうちの一つ「二荒山神社」ももちろんこの日観に行っています。


この2つの「二荒山神社」、ちょっとした因縁(?)のようなものがあります。


延喜式神名帳には名神大社として「下野国河内郡二荒山神社」との記載があります。

※延喜式神名帳とは古代律令制における神祇官が作成した官社の一覧表を指し、めっちゃざっくり言うと「これに載ってる=由緒正しい神社」的な認識。記載されてるかされていないか自体が社格の一つとされる。


この下野国の二荒山神社を巡って、宇都宮と日光の両二荒山神社が我こそは延喜式神名帳に乗っている二荒山神社だ!と主張しているのです。


ちなみに両方共祭神が異なり、名称の由来も異なるため全く別の神社です。


宇都宮側の主張としては、鎮座地が「河内郡」だからというポイント。

日光側は、「二荒山」の名は日光の男体山の古名であって、平地の宇都宮には関連がないのではないかという主張。


なるほどなるほど〜両社ともなかなか無碍には出来ない主張ですなー。


しかし、この論争に関して、明治4年に日光社が式内社とみなされたことで、国幣大社に列していた宇都宮社は県社に格下げされてしまいました。

一度は決着が着いた(?)と思われたこの論争ですが、明治16年に宇都宮社も式内社論社として位置付けられ、あらためて国幣中社の社格に復帰しました。

※式内社論社とは、めっちゃざっくり言えば、「式内社に記載がある神社の可能性がある神社」。


現在では二社とも式内名神大社・下総国一宮を称しています。


どちらの神社も実際行ってみて、「うちこそが下総国一宮です」って普通に謳っているので、何も知らずに行ったら何の疑いもしないと思います。知ってるとちょっとした視点が増えるので楽しいです。

ちなみに大通りに面した大鳥居は、両部鳥居です。

江戸時代の鳥居が両部鳥居だったようで、第2次世界対戦の祭、焼失。その後は明神鳥居だったそうですが、そちらも老朽化が進んだため、2008年に江戸時代の鳥居を復元した現在のものが完成したそうです。

どうりで新しい感じがするのですね。でもすごく立派です。これからどんどん味が出てくるのでしょうね。


どちらが良いとか悪いとかはどーでもいいのですが、こういう話を頭の片隅にでも置いておくと楽しいな〜という話でした。

ギョーザ美味しかったです。


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